eRingi’s diary

夫、息子2人と暮らす34歳育休中の主婦です。

モヤモヤ、ムカムカの正体は何か

私の主人は2年前に育休を1年間取りました。

 

まだまだ、2年前にはイクメンだとか、男性の育児参加だとか言われはじめた時期で、周りからは「すごいね」「いい旦那さんだよね」と言われました。

 

私は、4月からの仕事の予定は決まっていたものの上の子どもが当時まだ一歳になったばかりで、子どものそばにいたいなという気持ちも非常に強くありました。ならば、そもそも求職するなよという話ではあるのですが、、。それはさておき、仕事が決まってからそんな気持ちで毎日のように悩みに悩む私を見て、ならば保育園には預けずに自分が育休を取ると言ってくれたこと、今でも感謝しています。

 

主人はもともと子どもが好きで、私の姪っ子たちともよく遊んでくれていました。もともと料理も掃除も洗濯も好きで、さらに誠実で丁寧。

そんな主人でも、やはりまだまだ一歳の息子との一年は大変なことの連続だったと思います。

 

そんな状況でも持ち前の明るさと、天性の人から愛されるキャラクター、周りにスッと溶け込む柔らかさで色々なママと知り合いになり、土日に私が子どもと出かけると「パパが育休の方ですよね」と言われることも多々ありました。

支援センターでも、先生方から「パパはすごい」と言われる度に、なぜか私は「私よりパパのほうが〜」と自分を下げて答えることも多くなっていきました。

 

次第になんだか、心の奥で何かがモヤモヤしていることに気づきました。

 

私ってなんだろって、、。

 

支援センターに行っても、外を歩いていても、「育休とったパパの奥さん」「パパすごいですよねー」と声をかけられることに、「私」が私でなくなってしまったような、目の前で話しているのは私なのに目の前の人は私を見ていないような気持ちが大きくなっていきました。そこに私はいるけどいない。

 

そんな気持ちを感じていながらも、感じないフリをして過ごしていた時、いつも気にかけてくれる支援センターの先生に冗談ぽく「いつもどこに行ってもパパは〜って言われるから、私ってなんだろうって思うんですよね、、」と顔で笑って心で泣きながら話しをしました。

 

先生はゆっくり私の顔を見て「あなたあってのパパなのよ」と言ってくれました。

「当たり前じゃない、ママがいるからパパがああいう風にいられるのよ」と。

 

違う。パパは私がいてもいなくても変わらず本当に出来た人で、私なんかで申し訳なくなるくらいの仏様の様な人。

 

でもでも、先生の言ってくれた言葉は私の心を少しだけ救ってくれました。

 

最近の世の中は、働きながら子育てするママ、好きなことを諦めずに育児と両立するママ、

キラキラするママ達がたくさんいる。

 

きっと私はキラキラするママたちとパパの姿を重ねていたんだと思います。

 

その根底にはこのブログのはじめの記事にも書きましたが、私は「承認欲求」が強いのだと思います。

 

無意識に誰かから認めてもらいたいとか、ほめてもらいたい、そんな気持ち。

 

でも一方で気づいてもいるんです。自分が自分を認めてあげることが一番だと。

 

誰かの承認をもらって自信をつけても、それはきっと終わりの来ないエンドレス。

 

そうではなくて、私は私でいいんだという承認を私自身に出していくことが大切なのだと思います。

 

とにかく今は様々な感情を自分であやしていけるようになりたいと、、その先にどんな私もオッケーだと言える日がきっと来ると信じています。

 

 

 

 

 

 

承認欲求

はじめて記事を書きます。

まさかSNSが苦手だった私がブログを書くとは今だに信じがたいですが、まずはボチボチ思ったことをマイペースに綴っていけたらと思っています。

 

昨夜、息子も夫も寝付いた後なかなか眠れず、

色々と考えていました。

 

私は現在、育休中ですが、今の仕事が自分にとって本当にやりたいことか、向いていることか現段階では分からず、、(きっと悩む時点で違うのかなとも思うのですが)夫は、「仕事辞めていいよ」、「やりたいことや好きなことがあればしていいよ」と言ってくれます。私の気持ちが楽に過ごせることが家族の幸せにも繋がると思ってくれています。

私も自分自身の育った環境や、性格的にも子どもがある程度大きくなるまでは、仕事のペースをコントロールできるような環境がいいなと思う気持ちがあります。でも、その選択を自信をもって決めきれない自分がいます。それはなんでなんだろうと考えていました。

 

私は三姉妹の末っ子として生まれ、小さい頃から共働きの両親に変わり自宅で豆腐屋を営んでいた祖父母がよく面倒を見てくれていました。

 

母は看護師で、私を産んで8週で仕事復帰しました。もちろん夜勤も。

 

とにかく、小さな頃は寂しかった記憶があります。学校が終わって母が夕方の夜勤に行ってしまう前にどうしても会いたくて、走って走って帰ったけど、母はもういない、、。それならと夜中に帰ってくる母に読んで欲しくて手紙を書いていたのを覚えています。とにかく、どこかで母と繋がっていたかった。

 

成長して、少しずつ友達と過ごす時間が増え、恋をして彼氏ができてからも、なぜかいつも寂しさや虚しさがつきまといました。そして、早く家に帰らなきゃとも思っていました。彼氏と別れると、もうその人を好きなわけでもないのに自分ではどうしようもない不安と寂しさが襲ってきては、なぜか「お母さん、助けて」と心の中で叫んでいました。その時は、まるで小さな頃の自分が母を求めて泣いているようなそんな感情だったのを今も覚えています。でも、どうしてそんな気持ちになるのか分からない私は母に素直に伝えられる訳もなく。

 

高校卒業後、一浪し、私も母と同じ看護師の道を歩むべく東京の学校へ進学しました。(今の仕事は看護師ではありません)看護師を目指したのは天職だと言って、弱音も吐かずに楽しそうに働く母の仕事はどんなものなのかを知りたかったのがあります。

そこで出会った仲間に助けられなんとか卒業。地元に戻りました。その後は看護師として働きましたが、私には母のようなタフさはなく3年半で病院を退職。

 

退職後は学校看護師として働いたり、その後も子どもと関わる仕事をしてきました。

そんな中で、仕事を辞めたり、新しく始める時に私は常に母の意見を気にしてきたことに気付きました。

 

辞めると言ったら母はなんて言うだろう、この仕事を母はどう思っているだろう、、。

母が反対することももちろんあって、自分の意見を曲げずに押し通すこともあったけど、いい歳をしても、多くの場面で自己決定に自信がもてなかった。

 

それを自分でも自覚しながら、ある時夫に「私っていつも母に意見を求めてるよね」と何気なく話すと、夫から「僕もそう思っていた、もう大人になって、結婚もしてるんだから、自分の気持ちで生きていいんだよ」と言われ、分かっていたようで、違う人から言われた時にハッとしました。

 

私は母にただ認めてもらいたかったんだと。

過ごす時間が少ないなかでもきっと母は一生懸命に私たち姉妹と関わってくれたはずでず。

でもでも、他の誰でもない母じゃなければ埋められないものがありました。乳飲み子が母を求めて泣き叫ぶように、私の心はいつも母を枯渇して求めていた。完全に安心できる場所、それが私にはすっぽりなかった。そしてそれは、私を見て、受け止めて、認めてという強い願望、承認欲求に無意識に変わっていったのだと思います。

 

このことに気付いたことで、周りからしたらきっとだからなんだ?!ということなんだけれど、でも私の中では何かが確実に癒されたような気がしました。納得できたと表現すればいいのか、、うまく表せませんが、すーっと心が楽になったのが分かりました。まるで小さな頃や思春期、若かったころの私が「やっと気付いてくれたね」と言ってくれているような。

 

これからもきっと同じことがあるかもしれないけれど、前よりは少し自分の気持ちや夫と子どもたちがいる私の家族の決定に自信を持てる気がします。

 

 

 

初ブログでしたが、こんな感じに私が感じたことや何気ない日々のことを少しずつ綴っていけたらなと思っております。どうぞお付き合いを。